おらおらでひとりいぐも…一番輝いていた時期

「おひとり様」の見守り~亡くなった後のお手続きまでまるごとサポートします、千葉市稲毛の見守り隊、行政書士の礒貝です。

とても気になっていた映画を観てきました。

原作者、若竹千佐子さんで芥川賞をとった作品「おらおらでひとりいぐも」。

子供達も巣立ち、夫婦二人の生活を…と思っていたら、ご主人に先立たれ、ひとり孤独な生活をしている75歳の桃子さんのお話です。

高齢の一人暮らし…朝はいつまでも寝てていいし、行くところは病院と図書館。想像はできていましたが、それを映像で見ていたら、涙がでてきました。

でも、桃子さんは、言っていました。「私が一番輝いていた時期は、いつだった?結婚した頃?2人の子供の世話でバタバタしていた頃?でも、私は、今が一番輝いていると思うの…」。日本の昔ながらの家族に縛られた生活をしていたけど、今は自由に生きられる…。

私を含め、観客は4組。内2組は80代ぐらいのご夫婦でした。夫婦のうち片方が亡くなると…自由な時間を手に入れた半面、すべて自分で考え、自分でやらないといけなくなる夫婦の一方と、「あたりまえ」と思っている生活を送っている中で亡くなってしまう夫婦の一方では、どちらがいいと思いますか?もちろん、二人が元気なうちに「自分の人生」に気づくことができれば一番いいことなのだけれど。

自分の体が思うようにいうことをきかなくなる中、この先も一人で生活していく…私は、「一番輝ける時期」がくるまでに、覚悟と対策が必要です。

やりたいことリスト

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11月18日…11月も半ばを過ぎたというのに、日中はとても暖かです。ここ数日最高気温も20℃を超え何をするにもいい天気です。(というより暖かすぎです)

このぐらいの時期には、もう始めている人もいる大掃除。年末近くは、寒くて動けなくなってしまうので、その前に着手です。私は、大掃除の予定表を作って一つ一つ潰していくのが好きなのですが、そんな予定表を見ていたら、「死ぬまでのやりたいことリスト」(「バケットリスト」とも言います)が浮かんできました ← どうしたら、このような発想になるのか不明です(*^^*)

「バケットリスト」…私自身とても気になっているものです。ヤフーやアマゾン、楽天でも売っています。

もちろん今あるノートに、死ぬまでにやりたいことを書いていけばいいわけです。

余命が宣告された時に、「あぁ、あれやっておけばよかったな~」なんて後悔はしたくない。

私は無趣味な上に幸せで平凡な生活を送ってきたので、「死」が近づいてきたときに、「人生何をやってきたのかな~」なんて振り返っても何もないんじゃないかと寂しく思います。

実際「やりたいことリスト」を書いた人のブログを見ると、皆さんリストの内容を積極的に行動しています。

恐らく書かなければ、今までのように「やりたいこと」は二の次で、日々の生活に追われてしまうのでしょう。

皆さんは、「やりたいことリスト」がありますか?今更なんて言わないでくださいね。

来年お正月休みの宿題にしようと思っています。

「一日」「家族」「一般」これらの後ろに付く文字は?

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皆さんお分かりになりましたか(^^)/

答えは「葬」です。「一日葬」「家族葬」「一般葬」。昔と違ってお別れの仕方が色々あります。今は、コロナの影響で、お葬式を行わず火葬だけだったり、「一日葬」が増えてきているそうです。

以前葬儀社の見学会で父親と息子さんが言い争いをしている光景を見かけました。息子さんは、この場で、父親が希望する葬儀の生前予約をしてもらいたい、と一緒に連れてきたそうなのですが、父親の方は、そんな場所にいながら尚、息子に自分の葬儀について全部決めてもらいたいようでした。

ご自身の「死」を考えたくなかったのか、ご高齢のようだったので、考え決めることが面倒になっていたのか、わかりませんが、私からすれば、息子さんが気の毒になりました。

お盆やお正月に久しぶりに会うご家族で、このような話しをするのは、難しいのかもしれません。ただ、ご自身のことは、あらかじめご自身で決めておかないと、困るのは残されるご家族なのですよね。

参加者全員が関心をもった「尊厳死宣言」

「おひとり様」の見守り~亡くなった後のお手続きまでまるごとサポートします、千葉市稲毛の見守り隊、行政書士の礒貝です。

金曜日は、尊厳死協会の講師から『尊厳死』『リビング・ウィル』について詳しくお話しをしていただきました。

「尊厳死宣言」を紙に書いたからといっても必ずしも、その通りにはならない場合もあることや、書いたことを周囲に伝えておかないと気づかれないこともある…ということも聞きました。

そのお話しを聞いていた時に、随分前になりますが、私の祖父のことを思い出しました。

祖父は胃がんで余命宣告をされていました。最後は、病院のベッドから起き上がれず、口か鼻だったかはっきり思い出せませんが、チューブが入っていました。

祖母が毎日病院に行ってましたが、ある日、祖父が突然チューブを取り出したのです。

慌てた祖母は、ナースコールを押して、また今までのように、チューブを入れてもらいましたが、何故祖父は、そのような行動をとったのでしょうか。

祖母に何か話しをしようと思ったのか、それとも苦しいから「もうやめてくれ」ということだったのか。

本人の意思は、元気なうちでないと伝わりません。祖母はいくらお金を払ってもいいから、祖父の延命治療をして欲しいと医師に言っていました。

答えはでませんが、もし、私の終末期に、家族が私の死を受け入れたくないとしても、経鼻チューブ栄養や中心静脈栄養は望みません。これは我儘なことでしょうか。

死ぬときぐらいは、自分の意思を尊重して欲しい…そのような考えの方は「尊厳死」について調べることをお勧めします。今回参加者の皆さんは、とても関心をもたれたので、また企画させていただきますね。