自己紹介
あらためまして、こんにちは 礒貝です
どういう人間が書いているのか興味が若干でもある方にむけて私のことを紹介させていただきます
私は、渋谷にある病院で生まれました
家は上野でしたのでパンダのランランとカンカンを見たり、今は閉園してしまった (´;ω;`)
「上野こども遊園地」で楽しい幼少期を過ごしていました
そして、幼稚園児の頃、北千住へ引っ越してきました
ここでは児童館に行ったり土手で遊んだり、ピンクレディーの振り付けを一生懸命覚えて踊っていたのを思い出します
私には「介護」とは遠いものかと思っておりましたが、よく思い出してみると…祖母が「台東区身障児者を守る父母の会」(だったかしら(^▽^;) )の役員をやっていたので、孫の私はその会の運動会に出ては、子どもだったため周りを気にするでもなく全力で走り回り、日帰りの旅行でも存分に楽しんでいました。
当時、障がいを持つお子様のお母さまたちからは、どのように私が見えていたかは全く考えることもしませんでしたが、私は何ら気にしておりませんでした
いつからでしょう…障がいがある人を見ると「手伝ったほうがいい?」なんて最初から余計なことを考えたりするようになったのは…
ちなみに、今年98歳になる祖母はまだ元気です !
そしてとうとう小学校4年生の時に、千葉県にやってまいりました
上野や北千住もそんなに「都会〜♪」という感じでもありませんでしたが、千葉の鎌ケ谷市にきた時には幼心に何か町の雰囲気が違うと感じました
そしてすぐに「市街化調整区域」という単語を覚えました
中学校ぐらいまでは「班長」「委員長」「〇〇係のリーダー」とかをやっていました (^^ゞ
一度やると「じゃあまたやってね〜」ぐらいの流れでした…誰かがやらなければいけないわけですし…その誰かでした
中学では吹奏楽部でトランペットを担当し、高校ではバドミントン部に入っておりました
ここで私は文化部と運動部との「先輩との接し方」がもの凄〜く違うことに驚きました
一つの歳の差なのに、なんでそんなに偉くなっちゃうの〜ってビックリ!
ちなみに高校は松戸です
短大で英語を勉強しましたが残念ながら話せず、旅行会社に就職し、退職★
不動産会社に再就職し、寿退社…もう死語ですかね〜 結婚を機に退社いたしました
今は年齢がそうさせるのか「だれかのお役にたちたい」と思って日々暮らしております
そして社会がそうだからか「介護」についてとても気になっており、また興味があるのでたくさんのことを知りたいと動き回っております
臨機応変(自己紹介) トップページへ